【掌編】Once Upon a Dream

「あのぅ、僕とどこかで会ったことないですか?」

 そう声をかけられたのは、駅チカの喫茶店で席を探している最中のことだった。

 次の即売会の出店会議に、半年振りに相方のアリサと待ち合わせた晩秋の午後。とりあえず最初に目についた店に入ると、アリサはさっさと注文の列に並びに行った。

 店は混んではいないが、それなりに席は埋まっている。

 こんな時、荷物が置かれているだけの席を指して「そこ、空いてますか」などと尋ねる度胸のないアリサはオーダー役で、私が席取り。いつものことだ。

 十年来のつきあいなので、お互いの役割はほぼ固定されている。アリサは季節限定メニューに目がない上に私の好みも熟知しているので、任せてもまずハズレは引かない。

 店の奥の壁際、せり出した柱の角になる位置に空席を見つけて荷物を降ろし、さてアリサは、と振り向いたタイミングで、見知らぬ男性からの声かけである。

 どこかで会ったことないですか。

 胡乱な顔にならなかったのは、一瞬、見覚えのあるような気もしたからだ。

 年は多分同じくらい。草食系とまではいかないが、穏やかな風貌の青年である。ナンパな雰囲気もない。薄暗い店内で、浅黒い肌に白いフルリムフレームの眼鏡が一際映えて見える。

 いや待て。見覚えがあるのは、ひょっとしてその眼鏡の方か?

 つい先週、ピントが合わなくなってきた眼鏡を買い替える為に数年振りに眼鏡店を訪れ、どちらにしようか最後まで悩んで、結局選ばなかった方の白い眼鏡。

 購入した青いフレームの眼鏡と、かなり長い時間にらめっこしていたので覚えている。あれによく似ている。

 ということなので、たぶん男性本人は知らない人だろうなぁ。

「…ごめんなさい、わからないです」

「あ、すみません」

 正直に答えると、男も軽く頭を下げて離れていった。三つほど奥の席で友人らしきグループに混ざるのを横目で伺う。

 やっぱりナンパだったのか? と思い、柱の陰からこっそり聞き耳を立ててみた。先に座っていた少しチャラい系が、席に戻った男に声をかける。

「知ってる人だった?」

「いやー、夢で会った気がした」

 待て待て待て。そりゃ一体どこの眠り姫だ。

「なんかさ、夢で会ったのか現実で会ったのか、わかんない時あるんだよね」

 あー、それわかります。そういうことってありますよね。

 同じ台詞をアリサに言おうものなら、絶対ない、あり得ない、理解できない、の不可能三段活用が即行で返ってくるところだ。別にわかってもらえなくても支障はないので構わないのだが。

 というか、あなたはそれをナチュラルに言って受け入れられるキャラなわけね、羨ましいわ。

「なにニヤニヤしてんの」

 トレーを手にしたアリサが向かいの席に座る。別に、と返せば、そう、とだけ返ってきて、あとは季節限定メニューの説明に始まり、あれよあれよという間に出店会議に移行していた。

 会議は勿論お互い本気で白熱するので、よそのテーブルの会話に耳を傾ける余裕などない。

 一時間程して、大体の内容と次の予定を決め、席を立つ。

 ふと思い出して奥の席を見てみたが、いつの間にか男たちはいなくなっていた。


「またお会いしましたね」

 頭上から降ってきた声に、思わず手にしたパンフレットを取り落とす。床に散らばったチラシの一枚を拾い、手渡してくれたのは、あの白フレームの眼鏡の青年である。

 母親が友人らと毎年見に行くという朗読劇のチケットが、なぜか一枚余ったので一緒に行かないかと誘われたのが先月の話。特に用事もなかったし、チケット代は誕生日プレゼントにしてあげると言われたので(これにはちょっと納得いかなかったが)、ありがたく便乗、もとい同行してきたのである。

 開演のベルが鳴り、ホール内の照明が落ちる。彼は小さく会釈して、通路を後ろの方へ歩いていった。

 偶然か? というか、薄暗い空間で遭遇するのはデフォルトなのか? 周囲に溶け込む、と言うよりともすれば埋もれてしまいそうな自己主張のなさ。その中で、あの白い眼鏡だけが異彩を放っているというか、強烈に印象に残るというか。

「そうじゃないと覚えてもらえないでしょ?」

 はっと我に返ると、ホール中に拍手が鳴り響いているところだった。出演者たちが、笑顔で手を振りながら舞台袖に捌けていく。

 これは、もしかしなくても終幕か?

 しまった。物凄く心地良い語り口調とBGMと、ついでに適度に暗い空間のせいで完全に熟睡していた。

 いやいや、「せいで」などと言ってはいけない。お疲れモードを癒して頂いたのだ。全部聞けなかったのはごめんなさい、だ。

 アンコールなどはないので、客席からもぞろぞろと人が移動し始める。荷物をまとめながら、なんとなく周囲を見回してみた。

 まぁ、見つかるわけないか。

 探しかけて、ふと思った。

 声をかけられたの、夢の中じゃないよな?


 即売会当日。天気は晴れ、気温はやや低めである。

 アリサと最寄り駅で待ち合わせ、会場へ向かう。二人とも自宅からは少々遠い開催地なので、到着は搬入時間ぎりぎりだ。

 出店に意欲的なのはどちらかというとアリサの方で、私は会場の雰囲気が好きで付いてきているようなものだ。勿論自分が物書きであることは否定しないので、それなりの期待を込めてここに座っている訳ではあるが。

 しかし今日はどこか勝手が違った。通路を行き交う人々の顔ばかり気になる。正確には、白い眼鏡をしているかどうか、だ。

 あの彼と本当に以前会ったことがあるのなら、この会場は可能性第一候補だ。出店者と客、どっちがどっちだったにしても、その邂逅はほんの一瞬でもあり、鮮烈に印象的でもある。残念ながら私は人の顔覚えが悪いので、向こうだけ覚えていても不思議ではない。

 前から気になってたんですけど、なんでその眼鏡にしたんですか? 失礼ですけど、かなり浮いてますよ?

 人様のファッションに口を出すのはいかがなものかと思いつつ、もしも会えたら絶対に聞いてしまうだろう。それくらい、あの素朴な雰囲気の印象に不釣り合いに、脳裏に焼き付いているのである。

「なんで、って、あなたが選ばなかったから」

「はい?」

 思わず声が出て、前を通りかかった女性に怪訝な顔をされた。慌てて愛想笑いを浮かべてチラシなど手渡してみる。気付けば時刻は開催終了まで三十分を切ろうとしている。隣の席で、満足したらしいアリサが荷物を片付け始めたところだった。

 ――私は、夢の中で彼に会ったのか? それとも、彼に会うのが夢だったのだろうか?

 答えは、あの白い眼鏡だけが知っているのかもしれない。 


〈了〉

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