知らないものを書くために

 前回、「視えている物語こそ書けない」という話をしたが。

 逆に、というか当然のことながら、見えない・知らないものは、勿論書くことはできない。

 拙著に「経験を基にした創作」が多いのは、それが一番資料の引き出しが多いからであるが、中には例外というか、書くために引き出しを新たに作ったような作品もある。


 拙著代表作『天陽喰らう月』は、舞台の一部が日本の中世の農村である。

 中世の農村の暮らし。それまで興味を持つこともなかったし、書き始めたところで、具体的なビジョンは何も浮かんでこなかった。

 そこで、片っ端から資料を漁った。主には農具や生活用具の名前と見た目。実際に本文中で表現しなくても、「その場所で、それらを使って生活している人間」を描くためには、どうしても必要だった。

 より深くイメージを掴むために訪れたのが、『広島県立歴史博物館 草戸千軒復原遺跡(ふくやま草戸千軒ミュージアム)』である。

 単身、日帰りで訪れ、展示室で登場人物たちが動き回ってくれないか数時間粘った憶えがある。

(余談だが、当時は大阪までの定期と学割が使えたので、交通費がめちゃくちゃ安くすんだ)


 生活様式のすべてをこと細かに描写として表現できたわけではないが、脳内ではおぼろげながら映像が浮かんできた。イメージがあるのとないのとでは、書きやすさが全然違う(そりゃそうだ)。

 他にもいろいろ、普段は意識しないような内容を盛り込んだので、書き上げるのは非常に苦労したし、それ故に思い入れも強く、「代表作」として、未だに超えられない作品になっている。


 今の生活では少し無理があるが、研究や取材に没頭してなにかを書き上げる、ということもしてみたいな、と時々思っている。

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