Mission01_合宿所に辿り着け【全文】

 大学で掛け持ちしているサークルの、夏合宿の日程が重なった。

 これが全日程被っているのなら、泣く泣くどちらかを諦めただろう。

 が、所属している軽音サークルと文芸サークルのそれぞれ三泊四日の、ちょうど最終日と初日が同じ日なのだ。

 つまり、一足先に切り上げるか、後から遅れて行くかで、両方に参加することは可能なのである。

 しかし、ここで問題がひとつ。合宿所の場所が違うのだ。

「同じ場所だったら続けて泊まれて楽だったのにぃー!」

 何度見返しても、配布された日程表にある合宿所の表記は一致しない。

 夏期に人気があるのは地元関西圏の、目の前が海という絶好の立地にある研修施設の方で、後から始まる文芸サークルの合宿所はこちらになっている。

 一方、側にスキー場がある中部地方高原の研修施設の方は、当然冬場に合宿を行うサークルが多い。が、夏は夏で避暑にもってこいだというので、割と利用するサークルは多いらしい。軽音サークルは後者だった。

「文化系サークルの合宿なんて、要はお楽しみお泊まり会だろ? 何をそんな頭抱えるほど悩んでんのさ、どっちかでいいじゃん」

 文芸サークルで一緒のアキラに突っ込まれ、つい口を尖らせる。

「お楽しみお泊まり会だから、だよ」

 プライベートでこれだけのプランを練るのは大変だし面倒だが、サークル参加なら提示された参加費を払えば、宿も交通手段も考えなくていい。

 サークル仲間は皆気の置けない連中ばかりだし、せっかくなら夏の海も、高原での優雅な避暑も満喫したいではないか。

「そんなもんか。だけど途中離脱か途中参加なら、どのみちどこかで一人移動しなきゃならんだろ」

「そこなんだよなー」

 手元にある二枚の日程表を交互に見比べる。どちらも移動には大学所有のバスを利用して、現地に直行らしい。ということは。

「交通費安く済むの、どっち?」

「そりゃ近い方だろ」

「だよなぁ」

 さすがに直行バスで半日かけて行った先から、公共交通機関を使って自力で戻ってくるのは至難の業、のような気がする。交通費も嵩むだろう。

 それならまだ、天気予報で地元と同じ画面に映るくらいの距離に、一人で向かう方がマシだ。……たぶん。

「やっぱ、文芸合宿に後から参加、かな」

「まぁ、最初からその選択肢しかない気もしてたけど。トモヤ、結局なに悩んでんだ?」

 言わなきゃダメかこれ?

「おれ、超絶方向音痴なんだよね」

「……あぁ」

 アキラの生返事に憐れみのようなものが滲んでいる気がして、おれは盛大な溜息をついた。 この合宿に問題がひとつあるとすれば。

 超絶方向音痴のおれが参加する(予定の)二つの合宿の、宿泊場所が違うのだ。


 この件に関して擁護してくれる友人は、残念ながらいない。

 なにしろおれの方向音痴は自他共に認める酷いもので、過去には目的地に向かうのに街中の案内地図から三度違う方向に行き(十分歩いて間違いに気づき元の場所に戻る、を三回繰り返した)、何度も遊びに行っている友人宅がわからず、迷って近場に呼び出し迎えにきてもらうこと数回。

 挙げ句の果てには、地図アプリを片手に電話でナビしてもらっても目的地に辿り着けず、待ち合わせに四十分遅刻の前科持ちだ。

 そんなおれが、たかだか数時間と言えど、一人旅。大丈夫なのかと周りから散々心配されるのも、ある意味当然だろう。文句は言えない。

 まぁ、日本国内なら地図も読めるし言葉も通じるので、最悪どこかで迷ってもどうにかなるだろう。無論、事前の情報収集と行程シミュレーションは抜かりなく、完璧に。

「と思って乗り換え案内検索したらさぁ。八時出発で指定してんのに最速到着で出てくるのが九時半発の便、ってどーゆーことよ」

「そりゃおまえ、地元と一緒にすんなってことだよ」

 ラッシュ時には五分、どころか三分に一本電車が来る地元の交通事情は、よほど恵まれているらしい。なにせ生まれてこの方、この沿線から離れて暮らしたことがないので、それが普通だと思っていた。日本は広く、おれの世間は狭いということか。

「その案内に従ったとして、何時に着くのさ」

「……十五時過ぎ」

「まじで、え、六時間かかんの?」

 その数字をアキラの口から聞いて、改めてげんなりする。

 有料特急を使えば所要時間は半分だが、交通費は極力抑えたいので鈍行一択だ。電車の乗車時間は四時間半ほどだが、待ち時間が意外と長い。

 乗り換えの移動に費やす時間と待ち時間、最寄り駅から合宿所までのバス移動も合わせて、所要時間はきっかり六時間だ。

「カネを取るか、時間を取るか、かぁ」

 そう言いながら、カネを取る選択肢はハナから皆無だ。合宿に二回参加するという時点で、夏の小遣いは余裕で予算オーバーなのである。

「もっかい訊くけどさ、なんでそこまでして両方参加したいんだよ?」

 アキラの問いに、おれは短く答えた。

「来年も参加できるとは限らないだろ」

 たとえば、どちらかのサークルを辞めてしまったら。日程が今度こそ全被りしてしまったら。何らかの事情で参加を諦めざるを得なくなったら。夏合宿そのものが、実施されなくなってしまったら。

 昨年のあの時、行こうと思えば行けたのに。

 そんなことを思っても、もう「あの時」には戻れないのだ。今年の合宿は今年にだけ用意された特別なイベントなのであって、それがたとえ毎年実施されてきた年中行事であっても、昨年と今年ではきっと違うし、来年だって絶対に同じではないのだ。

 アキラは、まぁわからんでもないけど、とだけ言って、強くは反対しなかった。

 斯くして、真夏の無謀な挑戦は、無事決行と相成ったのである。


 軽音サークルの合宿を終えて帰宅した、翌朝。強行スケジュールにも関わらず、目覚めはすっきり爽やかだった。緊張して眠りが浅かっただけかもしれないが。

 最初の一時間は大学に向かうのと同じ路線なので、ぎりぎり残っていた定期も使えるし、居眠りしても日頃鍛えた感覚で降り過ごす心配もない。

 問題は、その先から始まる未知の世界、ならぬ未知の路線である。

 次に乗る電車が来るまで、約三十分。本やスマホに夢中になってうっかり乗り過ごしたら――なんて余計な心配をしてしまうのは、変なところで気が小さいのだろうか。なにせ路線名も行き先の響きも馴染みがないから、電車の到着案内を、本当にうっかり聞き逃す可能性を否定できないのだ。

 電光掲示板を見ていて、ちょうど昼時にさしかかっていたのに気付いた。

 売店で買ったおにぎりにかぶりつきながら、乗り換え案内を印刷してきた紙を何度も見返す。暑さのせいか、不安のせいか、手に滲んだ汗で、端の方はもうすっかりヨレヨレだ。

 利用することを諦めた特急が二本ほど通過し、やがて目的の電車がホームに入ってくる。

 行き先表示を確認し、恐る恐る乗り込む。夏休みとは言え、平日の真っ昼間。がらんとした車内に、それでも大きな荷物が邪魔にならないよう、端の席にちょこんと座る。

 ドアが閉まり、電車はゆっくりと動き出す。合ってるよな、この電車で。流れ出した景色に、後戻りできなくなるような不安が胸を掠める。

 そういえば昔も、こんな風に一人で電車に乗って、ちょっと寂しい、どきどきした不安を感じたことがあったっけ。


 あれは、小学校に上がってすぐか、その次の夏休みだったか。

 毎年夏は車で田舎に帰省していたのだが、その年は祖父母の都合と両親の仕事の都合が合わなかった。

 後から行くから先に一人で電車に乗って行けとは、今思えば我が家もなかなか容赦ない子育てをしていたらしい。

 母が、最寄り駅で下ろしてくれるよう車掌に話をつけ、車掌室に一番近い席に座らされた。一人端の席に座った電車が発車した時の、あの心細さたるや。大声上げて泣き喚かなかった幼い自分を、今更ながら褒めてやりたい。

 それでもぐずぐずと洟を啜っていたおれに、隣の席で事情を察したらしいおばさんが、あれこれ話しかけてくれたのが幸いした。車掌は途中で若い兄ちゃんに変わったが、先のおじさん車掌はきちんと引き継ぎをしてくれたようで、覚えのある名の駅に着いたところで、車掌室から合図があった。

 電車を下りて改札を出、迎えにきた祖父の姿を見つけて、おれのひと夏のささやかな大冒険は、無事に幕を下ろしたのである。

 思えば、方向音痴の自覚がある割に、一人で遠出することをあまり躊躇しないのは、幼少期のこんな経験も作用しているのかもしれない。

 行き先さえわかっていれば、どこにだって行ける。一人でも平気。なかなか逞しい根性に鍛えられたものだ。なぜ方向音痴になったのかは、甚だ疑問ではあるが。


 無事にそちらへ向かっているという意味も込めて、電車を乗り換える度にアキラ宛てにメッセージを送った。午前中は無難な返事が来ていたが、午後になって既読すら付かなくなった。

 きっと、皆で海にでも行ってしまったのだろう。途中で行き倒れたと思われても嫌なので、返事は期待せずにメッセージを送り続けた。

 窓の外の景色とともに、馴染みのない名の駅が次々通り過ぎていく。夏らしい、爽やかな青空に、ぽつりぽつりと浮かぶ白い雲。規則正しい電車の揺れ。静かで快適な車内。

 うとうとしかけたのを見計らったように、ポケットの内が震えた。

『悪い、言い忘れてた。合宿中の創作のお題、【冒険】だってさ』

 思わず目を瞬かせる。

 なんだろう。日常とはかけ離れたようで、つい今し方意識を向けた、身近な親しみのようなものが微かに浮かんで消えた気がした。

 間を置かず、アキラからのメッセージは続く。

『俺苦手なんだよな、異世界もんとかファンタジー系って。トモヤは?』

 ふ、と笑みが零れた。冒険=非日常、なんて、誰が決めたのさ。

 液晶の上を指が滑る。それはもう、軽やかに。

『大丈夫、おれ今絶賛大冒険中だから』

 メッセージを送って、画面に表示されている時間を確認する。次に降車予定の駅に付くまで、約三十分。念の為バイブでアラームをセットして、おれは目を閉じた。

 降り損ねたら、その時はその時。そんなハプニングも冒険の醍醐味だろう。

 不安や緊張もあるけれど、おれが緊張していようが爆睡していようが、電車は目的地まで走るのだ。


 その後、多少のすったもんだはあったが、無事に合宿所に到着し、夕食時はちょっとしたお祭り騒ぎになった。よほど行方不明になるのを心配されていたとみえる。

 なお、おれが送り続けたメッセージをもとに、アキラがちゃっかり日常系冒険短編を書き上げたこと。

 それから、調子に乗ったおれの行動範囲が徐々に広がり、在学中に国内はもとより、海外でも(半ば強制的に)一人旅をやらかす羽目になったことは、また別のお話である。

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